吉田征子の”いま”

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私の人生を振り返り、どうして現在のようなの活動をはじめたのか?どうして続けてきたのか?を想うと、その時代その瞬間に自分のできる精一杯と、出会う方々との巡り合わせと言いましょうか、川の流れに身を任せていたら、自分のやりたいことへの道が少しずつ開けていったという感じです。

40歳になったとき、ふと、もう人生の半分を過ぎてしまったと思うことがありました。それまでは子供達のことばかり考えた「子供中心の人生」でしたが、決して嫌だった訳ではありません。しかし、これからの人生は、もうちょっと自分のためにも生きようと思い立ったが吉日でした。

おそらく、ほかの方々よりも長い子育てを経験しましたので、色々な方々との出会いや、学んだこともたくさんありました。子どもにアレルギーがありましたので、保健師さんや保育士さん達と共にアレルギーの子を持つ親の会みたいなものを作ったこともありましたので、住んでいる地域の行政や町づくりに思うところも出てきはじめました。

人生の後半になってから、改めて自分の好きなこと・やりたいことを探していた時に齋藤益子先生の「ひろがる助産婦活動」という本に出合いました。助産師の私にできることが、まだまだたくさんあると感じた瞬間でした。

今までの助産師は病院の中にいるという思い込みを取り払い、地域に出ても私にできることがたくさんあるはずだから、今すぐにやろうと決断しました。

その当時、一緒に働いていた助産師が大学へ職場を変えた時期でもあり、声をかけてみました。

「地域で何かやらない?」「お母さん教室できるんじゃない?」

それが2000年から今日まで続いている「夜間お母さん教室」のきっかけでした。

地元の新聞などで我々の活動が広まり、ソロプチミスト名寄さんから賞をいただいたこともあり、名寄市の選挙の時には大勢の人前で「おむつを入れるゴミ袋を無料化にして欲しい」と訴えたこともありました。その後、本当に言ったことが実現し、言葉に出して行動すれば地域も変わるものなんだと実感しました。

性教育については、初めての「夜間お母さん教室」の中に、当時中学3年生になる娘の学校の先生が受講してくれていて「あなたのお母さんが学校で、みんなに直接お話ししてもらえないかしら?」と尋ねて来たと聞きました。それからというもの北海道内の色々な学校から依頼を受けるようになり「命の授業」呼ばれ、今、これを読んでくださっている方の中には、聞いたことがある方もいらっしゃるのかもしれませんね。

その時の先生や、この授業を聞いた先生方が、ありがたいことに転勤先の学校でも また私を呼んでくださって、札幌の高等学校からも毎年依頼をしていただいております。

夫が倒れた時、もうできなきなるのかなぁ~と考えていましたが、この会の仲間であり友人達が励ましてくれ、そして支えてくれました。せっかく出来た人と人とのご縁を断ち切ってしまったら、もう好きなことができなくなってしまうし、なにせ夫はそれを喜ばないはずと思いました。今まで続けて来れたのは、人と人のつながりです。感謝しかありません。

世界の生活様式も変わってしまい、この先、何年生きていられるかわからない年齢に差し掛かってまいりました。これからは「子育て・親育て」の会を通じて仲間と共に、私の子育て経験、今までの活動、夫の介護、私自身の想いを発信し、悩みがある若い世代の方々に少しでも役に立てたなら嬉しいです。          

「子育て・親育て」の会 代表 吉田 征子

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